真面目に自分語りをしますね。

こんにちは。

もう恐らく会う機会も無いだろうし、
面と向かって言えないような
恥ずかしい事を書きますね。
文字ってこういう時に便利です。


割と哲学的な話になるし、
暗い話も含むので、ご了承ください。



生きる理由


生涯を掛けてやること


何のために生きるのか

何となくスマホの中に入っている写真を
ザっと見ていたらツイッターのスクショが入ってて
「これ何だっけな?」って思って読んでみると

「あぁ、なるほど…」って納得して。

読んでみてください。








RTか何かでまわってきたもので、
いいねを付けても読み返すことってあまり無いから
スクショで保存しとこ、って思って残したものですね。

※この方は僕じゃないですからね





それで先日の記事で、
こういう事を書いたのを思い出して。





生きる理由って色々あると思うんです。



・子供や家族のため
・日々が楽しいから
・死ぬ理由がない
・死ぬのが怖いから
・夢があるから



等々。
そもそも、
『生きるのに理由がいるかい?』
って、某主人公が言いそうだし、
要するにこれこそ人それぞれですね。

以前にも書いた、僕の嫌いな言葉だけど
これ以外に表現の仕様がない。


どれも否定することが出来ない真っ当な理由だと思います。






僕の生きる理由は『犬』です。

僕にとって犬は自分の子供のような存在です。

いや、ちょっと違う。

僕を生かしてくれてる



「子供って。人間と同列に考えるなよ」


っていうのがこの社会の総意と言っても
過言ではないですよね。



でも僕は人間のほうがどうでもよくて。

会社に勤めていた4年半のあいだに
身内が二人亡くなりました。

でも何の感傷もわかなくて。




殺処分』って知ってますよね。

飼えなくなった、面倒になった、
引っ越しするから、歳を取ったから、
うるさいから、かむから、
迷子になったのに探さないから、


人間の勝手な都合で保健所の牢獄に
入れられます。


公開期限ってのがあって、
この期限を過ぎると処分されます。

10分以上、苦しみながら。





僕は訳があって、保健所を周っていました。
期限の最終日に会う子も居ました。

最終日ということは、
僕の返答次第でその子の運命が決まります


自分の無力さが心底、嫌になります。


『そんなこと言ったら牛や豚だってそうじゃん』
って言われる人も居ます。


そうですね。
僕は聖人君主では無くて、
ただただ犬が大切なだけです。



自称いぬ好き”と会話になりそうな時は
僕は凄く警戒します。

”いぬ”ではなく”流行り”が好きなだけな人や、
いぬ好きな自分”を”好き”な人や、
話を聞いていると
そんな飼い方で幸せだとはとても思えない時。


そういう人に対して僕は物凄く憎悪が沸いてしまいます。
だからそういう人とは犬の話をしないし、
話になったとしてもすぐに流れを変えます。




どの記事に書いたか忘れたけど、
うちの子が苦しんで、息を引き取った時も、
自分は会社で愛想笑いしてたりして、
会社にいるから看取ることも出来ず、
お別れする時はいつも
「ごめんなさい」
「今までありがとう」
しか言えなかった。




仕方がない、とか、
犬は恨んでなんかいないよとか、
そんなのは全て、
自分を納得させるための都合のいい言葉です。




人は犬を飼っても他の人との繋がりがあります。
でも犬にとっては飼い主しかいません。



人が親を選べないように
犬も飼い主を選べません。



僕は、この子たちの一生を見届けたら、
自分も死ぬつもりでいました。

だってほかに生きる理由がないもの。

生涯をかけてやること

ちなみに早めに退職したのも
もう後悔したくないからです。
そばに居たいからです。





生涯をかけて、保護活動をしていくつもりです




ちょっとした事業的な計画も立てていたりするのですが、
気が早すぎますね。

なのでまずは稼がないといけない。




僕は『夢』って言葉は使いません。



ちゃんと道筋を立てた目標、
ひとつずつこなしていけばたどり着ける場所。





償いになるのかどうかも分からないけど、
”償い”という言葉を使って、
都合よく『自分を納得させる』しか無い。






こんな自分を必要としてくれた子たちが居なかったら
自分はとっくに消えてたと思う。
子供の頃からずっと、救われてた。




コメント